伝える言葉を探す前に、言い換えないことが先です。
子どもは比喩を比喩として受け取りません。言葉のとおりに受け取り、そのまま 辻褄を合わせようとします。
避けたい三つの言い方
🔴 「眠っている」「永い眠りについた」。 いちばん危ない言い方です。子ども は夜、寝るのを怖がるようになります。目を閉じたら戻らないかもしれない、と 文字どおり結論します。小児の心理に関わる方が一致して挙げるのがこれです。
🔴 「遠くへ旅に出た」「いなくなった」。 帰りを待たせます。待っている子ども は泣きません——それが厄介なところで、ご家族は「落ち着いている」と見てしまい ます。半年後に「いつ帰ってくるの」と聞かれて初めて分かります。
⚠️ 「お星さまになった」「仏様になった」「天国にいる」。 ここは二つに 分かれます。ご家族が本当にそう信じていて、お仏壇があり、子どもが法事で その言葉を聞き慣れているなら、これは持ちこたえます——子どもにとって説明が 家の中で一貫しているからです。
そうでない場合——言うことがなくてとりあえず使った場合——子どもは一人で それを崩すことになります。どこにあるのか、なぜ会えないのか、どうやって 行くのか。答える人がいないまま。
🔴 そして危ない変形が一つあります。 「いい人は神様が早く連れていく」 「仏様が一番いい人を選ぶ」。子どもはここからいい子でいることは危ないと 結論します。実際にそう考える子どもがいます。
では何と言うか
短く、はっきりと、言い換えずに。**「亡くなった」「死んだ」**という言葉を 使います。
「おじいちゃんが亡くなったの。病気が治らなかった。もう会えないし、それは ずっと変わらない。」
三文です。これで足ります。そして沈黙を怖がらないこと。子どもは質問を するか、遊びに戻るか、どちらかです。どちらも正常です。
「分からない」と言ってよいことも大事です。「死んだらどうなるの」に正しい 答えを持っている人はいません。「分からないよ。お母さんも分からない」は、 作った答えより子どもを安心させます。
年齢で何が違うか
三歳から五歳。 死が元に戻らないことを理解しません。何度も同じことを聞き ます。それは忘れたのではなく、確かめているのです。同じ答えを同じ言葉で返して ください。言い方を変えると、話が変わったと受け取ります。
六歳から九歳。 元に戻らないことが分かり、そして自分のせいだと考える 時期です。「あのとき意地悪を言ったから」。これは聞かれるまで待たず、こちら から否定してください——「誰のせいでもないよ。病気だったの」。
十歳から十二歳。 事実を知りたがります。病名、何が起きたか。隠すと自分で 調べ、だいたい悪いほうに想像します。年齢に合わせた事実を伝えるほうが安全です。
中高生。 いちばん手がかりが少ない年齢です。何も言わないことが多く、それは 平気なのではありません。問い詰めず、こちらが泣いているところを隠さない のが、話してよいという許可になります。
通夜や葬儀に連れて行くか
日本では子どもが通夜や葬儀に出るのは普通です。だから問いは「連れて行けるか」 ではなく「連れて行くべきか」になります。
本人に選ばせるのがいちばん確実です。 そのために先に説明します——どこへ 行くか、何を見るか(お棺、お顔、焼香)、どのくらいかかるか、途中で出てよい こと。説明せずに連れて行くと、知らない部屋で知らない大人が泣いている場に 置かれることになります。
出ないと決めた場合も、何かで参加できるようにしてください。手紙を書く、 絵を描いて棺に入れてもらう、あとで写真を見る。完全に外に置かれた子どもは、 あとで「仲間に入れてもらえなかった」と言います。
付き添いを一人決めておくこと。喪主は手が離せません。子どもを連れて外に 出られる大人を一人、先に決めてください。
そして学校の忌引きがあります。担任に一言伝えておくと、戻ったときの扱いが 変わります。
そのあとの数か月
子どもの悲しみは波で来ます。平気そうな日が続いて、急に崩れます。そして 退行——おねしょ、赤ちゃん言葉、離れたがらない——はよくあることで、 たいてい戻ります。
二つ、効くことがあります。日課を変えないこと。そしてその方の話を し続けること。家の中でその名前が言えなくなると、子どもは話してはいけない のだと学びます。
子どもが自分で開けるもの
子どもに残る形は、大人に残る形と違います。写真、声、「おじいちゃんはこういう 人だった」という短い話。そしてそれを自分のタイミングで、何度でも見られる ことが大事です。
追悼ページがそこに向いています。ご家族が写真、動画、短い文章を 足していき、子どもは好きなときに開けます。十年後に見返して、そのときに初めて 受け取るものがあります。
いちばん早く消えるのは、写真ではなく話です。箸の持ち方、繰り返していた 一言。それを書き留めるのは、今しかできません。



