まず一つ、はっきり書く必要があります。このページのほかの言語版は別の前提から 出発しています。
⚠️ 日本の葬儀で詩を読むことは、定着した慣習ではありません。 読まれるのは お経であり、述べられるのは故人に向けた弔辞です。欧米の式で行われる 「詩の朗読」は、ここでは場所を持っていません。これは不足ではなく、式を支えて いる形式がそれだからです。
ですから問いは「どの詩を読むか」ではなく、その言葉がどこで生きるかに なります。場所は三つあり、どれも葬儀そのものではありません。
それを踏まえて、二篇です。
なぜ選ぶほうが書くより易しいのか
亡くなったあとの数日は、疲れと痛みで文が出てこないか、出てきても嘘に感じられ ます。選んだ一篇にはその欠点がありません。すでに書かれていて、すでに他の方が 試していて、それを口にすることに注意の全部を残してくれます。
それでも自分の文章を書きたい場合は、道筋が 弔辞の書き方にあります。
声に出して何が持ちこたえるか
五十人の前で読まれる文章は、椅子で読む文章と同じようにふるまいません。
長さ。 日本語は声に出すと時間がかかります。一句、あるいは数行で十分です。 長い詩を途中まで読むより、短いものを一つ読み切るほうが届きます。
文体。 古い仮名づかいの詩は紙では美しく、台の上では難しいことがあります。 読む前に一度、声に出して確かめてください。
具体。 場所、時刻、手の動きは、会場の全員がその方を知っている場で、抽象的な 像よりよく届きます。
二篇、全文で
どちらも公有です。読むことも、印刷することも、写すことも自由にできます。
「露の世は露の世ながらさりながら」 — 小林一茶
幼い子を亡くした方に。一茶が娘のさとを亡くしたあとに書いた一句です。
この世が露のようにはかないものだと分かってはいる。分かってはいるけれども ——と言って、そこで止まります。慰めず、何も解決しないのに、だからこそ会場 で耐えられます。
露の世は露の世ながらさりながら
一句だけなら、弔辞のなかに織り込むのがいちばん自然です。「おばあちゃん、 一茶に『露の世は露の世ながらさりながら』という句があります。今日、その 『さりながら』だけが分かります。」のように。
「永訣の朝」より — 宮沢賢治
兄弟姉妹に。賢治が妹トシを看取った日の詩の冒頭です。歴史的仮名づかいのままが 原文です。
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
三行で止めてかまいません。詩は長く、全文は式の長さに合いません。そして 最後の行の前で一呼吸おいてください。読まれるのはそこです。
注意すべきもの
🔴 「千の風になって」。 日本の葬儀でいちばん多く使われている文章です。 英語の原詩の作者の帰属には議論がありますが、問題はそこではありません。日本語 の詞と曲には著作権が存続しています(訳詞・作曲は新井満氏、二〇二一年没)。 私的な式で流すことと、会葬礼状に印刷したり、インターネットで公開したりする ことは別です。後者は複製にあたります。印刷や公開をするなら権利者に確認して ください。
同じことが相田みつを、谷川俊太郎、柳田邦男など二十世紀以降の多くの 著者に当てはまります。よく引かれる一行が、たいてい保護期間中です。
そして🔴 「忌み言葉」を忘れないでください。 詩のなかに「重ね重ね」 「返す」「再び」「続く」が入っていないか確かめてください。入っている場合は、 その詩を弔辞で読むのは避けられます。詳しくは 弔辞の書き方にあります。
著作権の決まり、二文で
日本では著作権は著作者の死後七十年存続します(著作権法五十一条)。期間は 死亡した年の翌年から数えます。二〇一八年の改正前に保護期間が満了していた 著作物は、そのまま公有のままです。
ですから一茶(一八二八年没)と宮沢賢治(一九三三年没)は自由で、二十世紀後半の 著者はたいてい自由ではありません。現代の著者の場合は、会葬礼状に印刷したり インターネットに載せたりする前に出版社に確認してください。
二文でどう前置きするか
何の前置きもなく告げられた詩は文学作品のままです。前置きされた詩は追悼になり ます。二文で足ります。その文章が自分にとってどこから来たのか、そして なぜそれなのか。
「母はこの句を買い物のメモの裏に書き写していました。亡くなったあとで 見つけました。私より上手に読んだと思います。」
「父は詩が苦手でした。これだけは覚えていました。中学で習って、忘れなかった そうです。」
文章より歌のほうが似ている方なら 葬儀の音楽をご覧ください。そして気がかり なのが述べること全体なら、 父、 母、 祖母、 兄弟姉妹、 友人のページと まとめのページがあります。
述べるのではなく石に刻む数文字については 墓碑に刻む言葉です。
本文は小林一茶『おらが春』(一八一九年)および宮沢賢治『春と修羅』 (一九二四年)の一般的な版に基づきます。根拠:著作権法第五十一条。



