母の葬儀で母について語るなら、美点からではなく、ありふれた細部から始めて ください。場所、繰り返していた口癖、言わずに教えてくれたこと。「優しくて強い 人でした」はほとんどすべての母について本当で、会場は三秒で忘れます。物、癖、 母の一言は忘れられません。辛い関係だったなら賛辞の義務はありません。本当の ことを三つ言うほうが、注文された追悼より重いのです。
母は、要約するにはあまりに近く、あまりによく知っています。浮かぶものはどれも、 平凡すぎるか、同僚や近所の方の前で言うには私的すぎるように見えます。選ぶ必要 はありません。届くのはまさにありふれた細部です。誰もがそこで自分の母を見つける からです。
書き方の決まり——故人に呼びかけること、重ね言葉を避けること、宗派に よって「ご冥福」を使わないこと——は 弔辞の書き方にあります。
細部は人物描写より重い
「花束の輪ゴムを台所の引き出しに取っておいて、その引き出しがいっぱいだった」 は、すべてを言います。一つの世代、一つの暮らし方、手の節約です。物を、言葉を、 癖を探してください。母はそこにいます。
入口は三つあり、どれか一つが他より開きやすいはずです。以下の三つの文例が それぞれ一つを取っています。細部を母のものに置き換えてください。
三つの文例
場所から
母がいた場所を描くと——台所、車、この数か月の病室——その中に母が現れます。
「お母さん、私にとってあなたはまず台所です。ニュースをつけたままのラジオ、 でも聞いてはいませんでした。念のために取っておいた花束の輪ゴムでいっぱいの 引き出し、一度も使わないまま。宿題をした食卓、初めての仕事が決まったことを 言った食卓、拓也を紹介した食卓。人生の大事なことは全部、あの部屋であなたに 言いました。これからどこで言えばいいのか、まだわかりません。」
母の口癖から
繰り返して、こちらをいらいらさせていたあの一言です。いらいらしたと言うことは 許されていますし、たいてい笑いが起きます。喪の会場の笑いは、その場の全員を 軽くします。
「お母さん、あなたには何にでも言うことがありました。特に一つ。『一枚羽織り なさい』。三十度あって、私は四十歳で、それでも言いました。本当に いらいらしました。今朝、ここに来る前に、上着を一枚持ちました。いい天気 です。それでも持ちました。母というのはこれなのだと思います。もう話さなく なってからも聞こえ続ける声です。」
辛い関係だったとき
「素晴らしい母でした」と言えないからこそ、何を言えばいいか探している方が多く います。言う義務はありません。母が何をくぐってきたか、今のほうがよく分かる こと、それでも受け取ったものを話してください。
「お母さん、私たちはいつもうまく話せたわけではありませんでした。あなたは 厳しい時代を生きて、そのことをほとんど語りませんでした。黙っていたことの 一部が、今になって少し分かる気がします。いちばんいいものをもらったことに お礼を言わせてください。本が好きになったこと——図書館から何冊も抱えて帰って いましたね——そして今も毎日使っている粘り強さです。」
事実を三つ言って座ることもできますし、自分では言いたくないことを 詩や 音楽に言わせることもできます。
最後まで読み切るために
声はほとんど必ず同じ場所で途切れます。名を呼ぶとき、そして母に直接話しかける ときです。本当に助けになることが二つあります。
- 文章を全文書いてください。 覚えていると思っても。 書き方はここでも同じです。読むことは 思い出すことより易しく、紙は手に居場所を与えます。
- 誰かに伝えておいてください。 続けられなくなったら代わりに読み終えて くれる方に。誰かがいると知っているだけで、必要にならないことが多いのです。
母への弔辞で涙が出ることは失敗ではありません。会場の誰もその逆を思って いません。
ほかの方が語ることを集めてください
その日、母について語るのはあなただけではありません。友人、同僚、近所の方が、 あなたの知らないことを話します。自分のものではなかった母の一部を知るのは、 多くの場合そのときです。 話したことを書き残してもらうことは、 まだ新しいうちにできれば、誰も後悔しないわずかな行為の一つです。そしてそれに いちばん向いている日は葬儀ではなく、四十九日です。そこでは全員が座って 話します。



